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パチンコ産業物語【パチンコ歴史学】

第2回 フィーバーブームからCR機登場前まで(1978年~1990年)

 

<第1回 パチンコ誕生からセブン機まで>はこちら

 

 

連発式の禁止措置から70年代まで、パチンコ産業は冬の時代を迎えながらも、パチンコには役モノが誕生し、パチスロには原型となるオリンピアマシンが登場。また雀球やアレンジボールなど新たなジャンルも登場しました。
さらに玉貸し機や補給装置などが発達して、急速に遊技環境が整っていったのもこの時代です。

 

しかし、パチンコ店の軒数はあまり増加することはありませんでした。

 

そんな背景で迎えた80年代をピックアップする第2回は、パチンコ店の軒数を一気に増加させたフィーバー機登場以降のパチンコ業界を紹介していきます。

 

 

日工組:パチンコ遊技機の変遷

1979(昭和54年) インベーダーブーム
1980(昭和55年) フィーバーぱちんこ機認可
1981(昭和56年) IC利用の役物増加、爆発的な超特電機ブーム、ゼロタイガー登場
1982(昭和57年) フィーバータイプ機30%自主規制、基板封印実施
1983(昭和58年) ホール大型化、新店ラッシュ
1984(昭和59年) 超特電機15秒機に改造
1985(昭和60年) 10カウント付超特電機認定、指定試験期間(保通協)で型式試験実施、スーパーコンビ登場
1986(昭和61年) 一発機ブーム、遊技機製造業者の登録制度実施(全防連)、ビッグシューター登場
1988(昭和63年) 日本レジャーカードシステム(株)設立、ドリームX登場
1989年(平成元年) 日本ゲームカード(株)・(株)エルイーテック発足
1990(平成2年) 遊技機規則改正(2,400個)、確率変動機発売(日工組内規制定)、フルーツパンチ登場

 

 

インベーダーに侵略されるパチンコ産業

1972年に電動式のパチンコ、1974年に電動役モノが登場して人気を維持するパチンコ産業でしたが、1978年7月頃からタイトーの「スペースインベーダー」が発表されると、すぐさま老若男女が熱中するほどの大きな社会現象となり、パチンコ産業も大打撃を受けます。その勢いは凄まじく、ゲームセンターが全ゲームをスペースインベーダーに替えたインベーダーハウスになったり、パチンコ店からゲームセンターに営業を転向する店が出現するほどでした。

 

 

「フィーバー」がパチンコ業界の危機を救う

出典:SANKYOヒストリー
https://www.sankyo-fever.jp/history/list.php?tag=1980

 

SANKYOから1980年に誕生した「フィーバー」がパチンコ産業に活気を取り戻しました。
このフィーバーが現在主流の第1種、超特電機いわゆるデジパチの元祖です。

 

ゲーム性としてはスタートチャッカーに玉が入るとドラムが回り、ドラムに太陽が揃って7セグに7が揃うと大当りとなりアタッカーが開くもの。当時は今のようにラウンドやカウントがなかったので、「まるで台が壊れたかのような出玉」と形容されました。当時は出玉を入れるドル箱の用意がなかったのでバケツを代用するのがあたりまえだったようです。

 

この射幸性の高まりから、1981年にはフィーバーの設置が30%以内に制限され、バケツを使用することすら禁止となります。その後はスペックにも段階的に規制がかかり、1984年にアタッカー開放が30秒から15秒・10カウントまでに規制され、翌年には10ラウンド10カウントの規制になりました。

 

ちなみにフィーバーが誕生した1980年にパチスロ0号機として「パチスロパルサー」が登場しています。

 

 

羽根モノもこの時代に確立された!

羽根モノは開放される様子を飛行機に例えて別名ヒコーキモノと呼ばれました。その由来となったのが1981年に平和から登場したゼロタイガーです。このゼロ戦をモチーフにした台が登場するまでは羽根モノの概念が全くなく、デジパチのフィーバーと羽根モノのゼロタイガーでパチンコ産業が大きく飛躍しました。

 

ゼロタイガー

平和(1981年)

 

羽根モノという新ジャンルを生み出した平和から、現在も後継機が登場する羽根モノが続々登場しました。

 

 

ビッグシューター

平和(1986年)

ビッグシューターは羽根モノの役モノに貯留機能を付けた初めての機械で、平和としてはゼロタイガー以来の羽根モノの大ヒット機種でした。

 

ザ・トキオ

平和(1990年)

2018年3月にシリーズ5代目のCRトキオスペシャルが登場したばかりの名作。この初代と2代目ニュートキオから10年以上の時を経て登場したCRトキオデラックスからタワー自体が一新されました。

 

 

一発台・おまけチャッカー台が登場

現在、DaiichiのCR天下一閃や、マルホンのCR天龍∞が登場して予想外のヒットとなりましたが、80年代にもフィーバー効果でデジパチがヒットしたことによる規制で出玉が減少し、その代替として一発台が登場していました。代表的なものは3つ穴クルーンを搭載したSANKYOのスーパーコンビでした。

 

また、同時期におまけチャッカーを搭載したデジパチも流行しました。こちらは現在の機械にあるようなアタッカー以外の賞球4個などの入賞口に入って出玉が増加するようなものではなく、まるでSUPER小当りRUSHのように出玉が増加する機械だったようです。

 

レーザースペーシー

平和(1987年)

 

 

一発台・おまけチャッカー台はデジパチの出玉が規制された後に人気の受け口となりましたが、1990年の規則改正によって姿を消すことになりました。

 

 

〈第3回へつづく〉

 

参考文献

日本遊技機工業組合<http://nikkoso.jp/>(参照2018-7-20)
SANKYOファンサイト<https://www.sankyo-fever.jp>(参照2018-7-20)
スペースインベーダー公式サイト<http://spaceinvaders.jp/>(参照2018-7-20)
パチンコ業界 WEB資料室ウェブサイト<http://pachinko-shiryoshitsu.jp>(参照2018-7-20)
パチンコ必勝ガイド編著『パチンコ歴史辞典』アド・サークル監修・資料協力,ガイドワークス,2017年