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パチンコ産業物語【パチンコ歴史学】

第1回 パチンコ誕生からセブン機まで(1930年~1978年)

 

2018年8月下旬より、これまでのパチンコから大幅に仕様変更される新基準パチンコが登場します。大当り出玉の減少は残念ですが、パチスロ同様6段階設定が実現したのは大きな影響を与える要素になりそうです。

 

今年以降、パチンコの時代が大きく動こうとしているのは間違いありません。変わろうとしている今こそ、過去にパチンコが規制と緩和を経て、どのような進化の歴史を突き進んできたかを振り返るべきでしょう。

 

本特集では、日本遊技機工業組合(日工組)がWEBサイトにて公開している「パチンコ遊技機の変遷」を元に、パチンコの歴史について独自の見解を交えて考えていきます。

 

第1回は戦前のパチンコから時代が大きく動く70年代までを一気に紹介していきます。

 

 

日工組:パチンコ遊技機の変遷

1920

(大正9年)

米国(シカゴ)からコリントゲーム渡来
1925

(大正14年)

大阪でコリントゲームを改良したぱちんこ始まる
1942

(昭和17年)

戦時体制により不要不急産業として全面禁止
1946

(昭和21年)

名古屋でパチンコ機生産始まる(小物・宝くじ)
1948

(昭和23年)

「オールもの」登場
1949

(昭和24年)

正村竹一氏考案による正村ゲージ登場
1950

(昭和25年)

オール15、オール20型開発される
1952

(昭和27年)

オール20連発式(機関銃式)開発される
1953

(昭和28年)

循環式第1号(高速連射可能式)開発(1分間に160~180発の玉が自動発射)
1957

(昭和32年)

役物コミック機ジンミット登場
1958

(昭和33年)

レコンジスター登場
1960

(昭和35年)

成田氏考案のチューリップ登場
1963

(昭和38年)

分離式(ユニパック)・メタル式ぱちんこ発表
1964

(昭和39年)

玉の追加自動システム開発
1965

(昭和40年)

スロットマシン登場、雀球登場
1969

(昭和44年)

警察庁が遊技機の新基準を全国に通達(発射装置:手動式発射速度1分間100発以内、出玉:1回15個以内)
1971

(昭和46年)

ぱちんこ玉の計数管理コンピューター導入
1972

(昭和47年)

アレンジボール機認可、電動式ぱちんこ認可
1974

(昭和49年)

電動役物機登場
1975

(昭和50年)

分離式製造
1977

(昭和52年)

テレビパチンコ登場
1978

(昭和53年)

特電機登場

 

 

パチンコの元はコリントゲーム?

パチンコのルーツになったものは台を寝かせた形で遊ぶ「コリントゲーム」との説が有力ですが、諸説がありパチンコ業界の中でもハッキリ結論が出ていません。

 

 

 

前述のように日工組はコリントゲームの渡来によってパチンコが始まったことを示していますが、杉山一夫著「パチンコ誕生ーシネマの正規の大衆娯楽(2008年)」によると、「コリントゲーム」はイギリスの「コリンシアン・バガテール」を模して作られたもので、「バガテール」からアメリカの「ピンボール」に発展し、「ピンボール」からさらに日本の「スマートボール」に発展したとの記載があります。

 

 

しかし、「スマートボール」はパチンコの一種ではあるものの、パチンコ・パチスロ・雀球・アレンジボールのような別のジャンルとして扱われています。さらに、戦後よりパチンコとして確立していったものは、壁に立てかけメダルを入れると玉が出てくる構造の「ウォールマシン」のほうが近く、ヨーロッパから伝わったこちらがパチンコのルーツとして有力だと思われます。

 

 

戦前は一銭パチンコだった!

 

パチンコの起源が「ウォールマシン」のほうが近いのは、1930年頃にあった最初のパチンコが一銭銅貨を入れて出てきた玉を弾き、入賞したら二銭が出てくるものだったからです。つまり、4円で1玉を借りている現在のパチンコとは比べものにならないほど安かったのです。

 

それから貸玉は段階的に上昇して、

 

1948(昭和23年)に貸玉1円に変更

1949(昭和24年)に貸玉2円に変更

1969(昭和47年)に貸玉3円に変更

1978(昭和53年)に貸玉4円に変更

 

現在、これまで通り過ぎた貸玉の歴史を紡ぐように、様々な貸し玉が併設されて営業されるようになりました。実は、実施期間がおよそ1~2年程しかなかった貸玉1円が60年の時を経て復活して現在に根付いているのです。

 

 

かの有名な正村ゲージで大きく発展

太平洋戦争に突入してパチンコ産業は全面禁止となりましたが、戦前の遊技機を露天にならべる形からパチンコが復活。その後、昭和23年頃から人気に火がつき、パチンコの父と呼ばれる正村竹一氏がパチンコ最大の発明と呼ばれる「正村ゲージ」を生み出したことで大衆娯楽としてさらなる人気を集めました。

 

鈴木笑子著『天の釘ー現代パチンコをつくった男正村竹一』晩聲社,2001年

 

 

電動連発式ブームから一気に冬の時代へ

時代が大きく動いたのが1952(昭和27年)にオール20連発式(機関銃式)が開発されたことでした。玉を1つ1つ入れて打ち出す鋼球式から、次々を連発できる連発式に進化。さらに賞球が上皿に戻る循環式と電動連発式(通称モーパチ)に発展し、玉が足りなくなるほど一大ブームとなりました。

 

モーパチは1分間で最大200発打ち出せる仕様でした。現在のパチンコは1分間で100発打ち出されるので、約2倍のスピードとなります。

 

 

しかし、射幸性が高まったことで1954(昭和29年)に連発式が禁止となります。パチンコ店の店舗数は、連発式が人気を集めた頃には約4万5千店舗もの数がありましたが、連発式がなくなった翌年には約1万2千店舗まで減少しました。

 

 

 

冬の時代に様々なものが進化していった

連発式が復活するのは1969(昭和44年)となりますが、それまでに業界各人の創意工夫によって様々なものが生まれていきました。

 

この時代に新たなジャンルとして雀球が開発され、パチスロの前身となるオリンピアマシンが輸入されます。パチンコに関しては、盤面中央に役モノを配置したジンミットが登場。そして「正村ゲージ」と並ぶパチンコ業界の発明で、現在の電チュー(電動式チューリップ)に繋がる「チューリップ」等で役モノブームが起き、パチンコ冬の時代の中でも大きな発展を遂げていました。

 

 

 

〈第2回へつづく〉

参考文献
杉山一夫著『パチンコ誕生ーシネマの世紀の大衆娯楽』創元社,2008年
鈴木笑子著『天の釘ー現代パチンコをつくった男正村竹一』晩聲社,2001年
パチンコ必勝ガイド編著『パチンコ歴史辞典』アド・サークル監修・資料協力,ガイドワークス,2017年
日本遊技機工業組合<http://nikkoso.jp/>(参照2018-7-16)
パチンコ業界 WEB資料室ウェブサイト<http://pachinko-shiryoshitsu.jp>(参照2018-7-16)
一般社団法人遊技球製造協会<http://www.pach-ball.com/product/ball_history.html>(参照2018-7-16)