COLUMN

栄華のパチンコ偏愛月報~特別編

パチンコウォーカー編集部に「本を出版することになりました」って初めて話したのはいつのことだったかなあ。たぶん、2009年あたりだったような気がします。

 

 

当時は今みたいにイベントが厳しく規制される時代が来るとは思わなくて、編集部と一緒に来店企画のようなものを考えていました。私は昔から、「来店」という行為に対してお金を頂くことに抵抗があったので、やるならそれを題材にした企画記事を書いて誌面に掲載し、編集部から原稿料の形で報酬を得たい、と訴えていたんです。しかし、何本か企画書を書くも、ついに実現することはありませんでした。

 

 

その時ネックのひとつになっていたのが私の知名度で、パチンコウォーカーの営業さんが企画を持ってホールを訪ねても「は? 栄華ってどこのどいつやねん?」という感じだったわけです。記名の連載が始まったのは確か2007年あたりだったと思いますが、基本的に「勝ち負けを語らない」スタイルでしたので、私を知っているクライアントから見ても「集客のアイコン」になりえないことは明らかだったのです。

 

 


パチンコウォーカー2008年8月号「女流銀玉月報」より

 

 

なかなか企画が通らない、そんな時に編集部から何度か「まだ本は出ませんか?」と尋ねられました。著書があれば「この本を書いた作家があなたのホールの記事を書きます」と営業をかけられる。だから早く形にしてください、というわけです。その都度「はい、今取材中です」「執筆中です」「今年中には出ます」などと返答していましたが、結局、掴みかけた夢は私の実力不足で幻になってしまいました。

 

 

その時出版しようとした本は、777軒のパチンコ店を訪ね歩いた取材をもとにした企画で構成されていました。カタカナ表記の「パチンコ」という看板の写真を集めて何ページにも渡って並べて見せたり、廃ホールの鑑賞方法をレクチャーしたり、ホールの女性トイレを分析をしたり、パチンコ実機コレクターの自宅を訪問して部屋から垣間見える蒐集スタイルを紹介したり。そんな内容です。

 

 

本を出せば作家としての方向性が定まり「食える物書き」としての一歩を踏み出せると信じていた私は、出版社からの連絡が途絶えたことに深いショックを受けました。心が壊れかけて心療内科に通うほどでした。でも、どこかで「まだチャンスが全てなくなったわけではないはず」「もっと良い原稿を書いて送れば考え直してくれるかもしれない」と絶望から逃れようとする気持ちが残っていて、細々とではありますが取材にだけは出かけ続けたのです。訪ねたホールの数は1000軒、1500軒と増えてゆきました。

 

 

本を出せる確証はどこにもありませんでしたが、2012年夏あたりからは取材で得たことを生かして「パチンコ必勝ガイド」に誌面企画を書かせてもらえるようになり、ホール探訪をテーマにした連載も担当しました。しかし、やはり「勝ち負けの話」「機種の話」が一切出てこない連載は人気がなく、私も読者層に合わせた文章を書くことができずに長続きはしませんでした。「もう頭打ちなのかな…」そんなことを感じ始めていました。

 

 

そんな頃、ネットを徘徊していて見つけたのが「八画文化会館」という路上観察マガジンです。私が苦手な「廃墟」に関する記事が得意な雑誌でしたが、廃墟に対する愛情やリスペクトを感じる取り上げ方で、社会の枠組みから外れた人やモノへのまなざしが優しくて新しい、という印象を受けました。この雑誌なら、私のパチンコホール取材を面白がってもらえるんじゃないかと直感で思いました。

 


八画文化会館

 

 

縁とは不思議なものです。私が八画文化会館に熱い視線を送っていた頃、なんと八画文化会館も私を見ていました。ある日のこと。一日2~30程度のPV数しかなかった私のブログ「釘迷宮ひみつ支所」を、八画文化会館がツイッターで取り上げて下さっているのを発見したのです。「繋がった!」と夢見心地で躍り上がりました。

 

 

「本を出しませんか」という話を八画出版部から頂いたのが2015年。そこから実現するまでにまた紆余曲折があり、最終的には単著ではなく雑誌の監修という形になりましたが、今年の3月30日にようやく夢が叶いました。

 


八画文化会館vol.7 偏愛特集:I ♡ Pachinko Hall ~パチンコホールが大好き!

 

 

パチンコウォーカーさん。
ずっと「本出す出す詐欺」みたいな状態でしたが、ホントのホントに出ましたよ! 遅ればせながら献本しますので買わずに待ってて下さい。これでやっと土台ができた感じでまだまだこれからですが、ずっと書き続ける場を与えて下さった恩返しをしてゆけたらと思ってますので、今後もどうぞよろしくお願いします!